2020年12月からスタートする、『和』の文化を背負い、
“世界でも活躍できる”少女達の成長を見守り、
応援していく 新しい形のライブ・エンタテインメントです。
「少女歌劇団・ミモザーヌ」お披露目の時がついにやってきた。
応募してきた11歳から17歳までの736人の中からオーディションで選ばれた第1期生は14人。
「スミレ」(宝塚歌劇団)でもなく、「サクラ」(OSK日本歌劇団)でもなく、つぼみから半年もかかって、ポンポンのような小さく丸い花が開花する「ミモザ」。
促成栽培するのではなく、20歳までという〝限られた時間"のなかで、じっくりと育てる取り組みは、鮮やかな色彩を放つ大きな可能性を秘めている。
本番を前にレッスン場をのぞいた瞬間、強烈な印象を持ったのは、ジャズの名曲「SingSing Sing」をリズミカルに歌い踊る彼女たちの目。
舞台人としてのテクニックではなく、自然にキラキラ輝き、笑顔がこぼれていた。
「みんなを見ていると、ピュアな気持ちが伝わってきて、感動するのですよ」。
総合演出をつとめ、レッスンを見守ってきた広井王子はこう話す。
2018年1月にオーディションが行われたが、「アイドルになりたい!という子はすべて落としました。私たちは『アイドル・グループ』ではなく『少女歌劇団』を作るのです」と、いまの時代にあえて大きなチャレンジする決意を話す。
1914年に宝塚歌劇団が初公演を行った後、全国には同じように女性だけの歌劇団が数多く誕生した。
私が『少女歌劇の光芒』を書くにあたって調べたところ存在がわかっただけでも30団体近くあった。
関西では、OSKをはじめ、堺市にあった大浜少女歌劇団、大阪・ミナミにあった赤玉少女歌劇団、浪華少女歌劇団、奈良・大和郡山の日本少女歌劇座、そして吉本興業にも一時、花月乙女舞踊団があった。
それらのほとんどが消滅したのは戦争や自然災害のほかに、大きな理由があった。
それは養成所の存在で、歌ったり踊ったりする素養が少しあるだけで、すぐに舞台に立たせていた団体は短命に終わっているのだ。
そんな歴史を踏まえて、ミモザでは歌とダンスだけではなく演劇、日舞、茶道、殺陣、アクロバチックなどをレッスン課目に取り入れ、多彩な作品にも対応できる才能を育てようとしている。さらには…。
「全員に日記を書いてもらい、すべて読んでいます。レッスンでの反省点も大事ですが、日々の気持ちを書き綴ることで、感情表現に役立てればとも思って」と広井。
少女歌劇の原点でもある、舞台人である前に大切な“人間教育”も意識しているのがなんとも頼もしい。
もちろん、このジャンルには欠かせない「男役」は、特定の人物に固定しないもののナンバーによって登場。制服や歌劇団歌、鈴をつけたミモザ型のシャンシャンを全員が手にしたフィーナーレと、少女歌劇の華やかなレビューは伝統をしっかり受け継いでいる。
「清く明るく麗しく」をモットーに、いまではあまり使われなくなった「少女歌劇団」を冠したミモザのつぼみが開き始めた。
演劇ライター/辻則彦